カテゴリ:6年
6年生 平和のバトンを受け継いで…
今日、私たちは「退職女性教職員の会」の方にお越しいただき、92歳の方が経験された戦争中の大変なお話を聞かせていただきました。
当時の生活は、今の私たちには想像もできないほど、食べるものがなく、本当に苦しいものだったそうです。
配給で手に入ったたった一つの飴を、もったいないからと何日にも分けて、少しずつ舐めていたそうです。また、道端に生えている食べられそうな草を見つけると、他の人に取られないように、すぐに足で踏んで隠してから家に持って帰っていたそうです。さらには、お米も足りなかったので、お弁当には、白米をいっぱい詰めることはできず、おかゆのようにやわらかくしたご飯を持って行っていたそうです。
他にも、油を取るために松の根っこを掘りに行くなど、身の回りにあるありとあらゆるものを戦争のために使えないかと考える毎日だったと語られました。
そして、戦争の悲劇を目の当たりにした体験もお話いただきました。
1945年8月6日、当時広島から2時間ほど離れた山の中で、原爆の大きな爆発を確認したそうです。
その翌日、家の前には、たった一杯の水を飲むことすらできずに亡くなった、数多くの人々の遺体が並んでいたそうです。
薬も、けがを治す知識もない中で、当時13歳だったにもかかわらず、多くの傷病者の世話をする看護師のような役割を担うことになりました。傷口にわく虫を取り除くなどして、次から次へと運ばれてくる人たちを必死で手当したそうです。しかし、いくら手当をしても、手当の甲斐なく次々と亡くなられてしまったと話されていました。
戦争のために遠い場所に疎開した小学校6年生の同級生の、誰も消息がわからないとおっしゃっていました。「だから、小学校6年生のクラス会をしたいと思っても、一人も集めることができないんだよ」と話す姿から、戦争は、人の命だけでなく、大切な思い出や、友人とのつながりまでも奪ってしまったことを痛感しました。
今日、悲惨な戦争を実際に経験された方のお話を聞き、私たちは、改めて「平和」がどれほどありがたいものかを強く感じました。
このような悲しく、辛い日々を二度と繰り返すことがあってはいけません。実際に戦争の恐ろしさを経験された方々が抱いている「平和への強い願い」を、直接受け取る機会をいただいた私たち一人ひとりが、この大切な思いをしっかりと未来へと伝えていくことが必要だと強く感じました。
公開日:2025年12月15日 13:00:00
更新日:2025年12月16日 11:44:42